lau’s blog

脳内垂れ流しブログ。

約70万円のセミナー。

レベルアップのセミナーの案内がやってきた。
行きたいなー。
でも金銭的に厳しい。

じゃあ、お金があれば行くのか?

お金だけじゃない。
何かが引っかかる。


土台がしっかりしていれば上に積み上げていっても崩れることはない。
でも、土台が固まってないのに、うまくバランス取りながら積み上げていったら、いつか崩れてしまう。

昔、そんな経験したことがある。

固まっているつもりで積み上げていったら、固まってなかった。バランス感覚はいいほうだし、要領のいい方だから、意外とうまくのっけれた。
そのうち崩れた。

感覚で積み上げていってたから、崩れた時には土台の作り方すら分からなくなってた。

何がダメだったのか、いつから崩れかけているのか、それすらわからなかった。



今の私は、まだ土台ができあがってない。

固まる努力をしてきてないから。
感覚できてるから。

このまま積み上げたら、昔の二の舞になる。

感覚でできたことも、ロジカルに自分に落とし込む作業は必要。私には必要。

きちんと落とし込めたら、崩れた時には最短で修正できる。もしくは崩れる前に気づいて修正できる。

土台ができていない。

だから今じゃない。

基礎ができてから。
まだ基礎を固める時間。

そう自分で納得できたら、焦りや不安がなくなった。

人は人。
私は私。

人より早い方がすごい。
人より先のほうがすごい。
人よりより多くのことを知ってる方がえらい。
ついそう思ってしまう。
人と比べる私。
人より優位に立ちたい私。

へんなプライド。
人の目を気にする、自信過剰。


その気持ちを手放そう。
むずかしいけど。

それがいい方に働くこともあるけどね。

今回のセミナー、
行ったら行ったで勉強になるし、みんなと同じようにこなせると思う。

でも
ただ“こなす”じゃ、時間もお金ももったいない。
自分に落とし込んで、使えるようにならなきゃ意味がない。

だから、今の私にはまだなのだ。

私にいいタイミングで、次があるはず。
無かったらなかったで、私には必要ないってことと思える。

“今”じゃない。

不思議なくらいに、その答えが出たとき、焦りや不安や羨ましさという気持ちがなくなってた。

今の私には、正しい選択みたい。

数人の友が参加するみたいだから、報告を楽しみにしたいと思う。

羨ましさを全面に出して、友の報告を楽しみたいと思う。

ブルームーン。

なんだろなー。

26日からのこの週は、何か自分の目的や課題を決めるのにいい週。

今日はブルームーン。パワーが強いので自分の目標やなりたい未来を思い描くといい日。

そんな日々だ!と思えば思えほど、やる気が出ない。

ここ数日の尋常じゃない眠気はなんなんだろ。

脳が考えることを拒否してるような感じ。
満月だからかなー。

たまーにやってくる“隣の芝生が青く見える”時期。
自分が無能で何やったらいいか、何やってもだめだって思うとき。
周りのみんなはどんどん先に行っちゃって、一人取り残されてる感。

誰か私も引っ張ってってー。
誰か一緒に歩いてー。
誰かー。誰かー。誰かー。

ってどーにもならないのも知ってる。

今の私は軸がぶれてる。
ぶれてるときは、そんな感じ。

じくってだいじ。

ブログを読む時の判断基準。

読みたいblogと、読まなきゃいけないと思っているブログと、読んだ方がいいんだろうなと思うブログと、どうでもいいやって思うブログ。

 

今の私の中にはだいたいこの4つに分類されていうる気がする。

読みたいブログは、そもそも自分のなかに読みたいという欲求があるから短かろうが長かろうが苦にならない。内容がどんなであれ、読み終わってにっこりするようなブログである。

読まなきゃいけないと思っているブログは、尊敬する人だったり、自分のためになることをいつも書いているひとのブログ。きっと自分のためになるはずだから読まなければと自分で自分のおしりを叩くときもある。周りの読んでいる人と話が合わなくなることへの恐れによることもある。
活字が詰まっていたり、経済なこと政治的なことと長文で書いていたりすると、その時の気分によって読みたくない時もある。でも、後で読もうとためてしまうと結局後でまた読むのがおっくうになるので、“今”よ読んでおいた方がいいと自分でわかっているから読む。けど、そんな精神状態で読むから頭に入らないことも多々ある。なんだろ、じゃあ、読まなくてもいいんでは?と書きながら自分で思ってしまった。

 

読んだ方がいいんだろうなと思うブログは、リアルに関わる友達や顔見知りの人のブログ。私自身が人がブログを読んでくれてるってわかると嬉しいから、私も付き合いの一部として読んでおかなきゃって思うからだ。
これが苦痛になるときがある。このくくりだとたくさんの人がいすぎて、読むものが多すぎて追いつかないから。だから、よくここは省く。
(よくここは省く と ここはよく省く は、びにょーにニュアンスが違うんだね。ということに書きながら感じる。でも訂正せずに初めに書いたまま。)

どうでもいいやって思うブログは、そもそも書いてる人があまり好きではないwww
タイトルにひかれて開いたこともあったりするけど、開いたことを後悔したことが多々。だから、タイムラインに上がってきても読まないことが多い。

 

タイトルが大事だっていうのはすごくわかる。
でも、タイトルが良すぎて中身がないとがっかり感が半端ないのもたしか。

自分がどこの分類に入れられているのかとっても気になる。
気にしたところで判断するのは自分じゃないのでどうしようもないけど。

仕事も全く関係ないし、プライベートでも関わりのない方のブログをよんで、読んでよかったなー♪という気持ちが湧いたので、自分の中を分析してみた。


私ってひねくれてて性格悪いなーって思う瞬間がこんな時だねw

 

なんとなく感じる、この人“私”じゃなく“私の持ってるモノ”が欲しいんだなーってこと。

あなたはなんで私と友達になるの?

最近友達になったけど、好きじゃない人がいる。
もともと好きじゃない。
何が?よく知らないのに?って思われるだろうけど…
雰囲気が。オーラが。直感的に。

だいたい当たる、私のこの感覚。

昔からネットワークビジネスに誘われやすい。
だいたい誰もが知ってるあの有名なところとか、化粧品に酵素ジュースなどなど。
すぐ誰とでも友達になって、友達が多いからだと思う。
そんな人の方が周りにうわっと広がりやすいからね。

でも、それが目的でちかづいてくる人は、だいたいわかる。

大してコミュニケーションとってないのに、仲良くなったわけでもないのに、
イベントのお誘いが来たりする。

ほらねー。やっぱり。
って思う。

SNSを仕事に活用するのはいいと思う。

ただやり方や順番間違うと、自分で自分の首絞めちゃうよね。


私はもう嫌だもん、その人(笑)

きっといい人なんだろけどね…。

馴れ馴れしさに不快感。

毒吐いちゃおー。


多分なんとも思わない人と、そうだよねって共感してくれる人とにキレイに分かれるんだろうな。

ニックネームで呼び合う ということ。

英語圏だと、年上だろうが年下だろうが名前を呼び捨てwだから、ニックネームで呼ぶってことにもなんら抵抗はないんだと思う。

でもここは日本。
さんとかちゃんとかくんとか先生とかその人との関わり方というか、関係性で名前に何らかをつけたりする。

体育会系で育ってきたのでそんな環境から離れたとはいえ、脳みそはまだまだ体育会系で。
年上、教えてくれる立場の人などに、初めからタメ口、ニックネームで呼ぶなんて無理。

年は違えど、同期とか遊びの場で知り合ったとかなら、徐々にタメ口やニックネームで呼ぶけど。


ニックネームがついてて、ニックネームで呼び合うんだ って聞いたとしても、初めて会った時の立ち位置が、先生だったりするとニックネームにさんとか付ける。付けちゃう。付けずに呼べない。

だって、尊敬する人を呼び捨てにした時点でなんだか“尊敬”がなくなってるような気がする。

本人がいないときにこっそりニックネームで呼ぶことはあるかも。
でも、本人に向かってとか、本人が目にするであろうSNSでは無理むり。

呼んでる人が気が知れない(笑)
親をニックネームで呼ぶ?
学校の先生をニックネームで呼ぶ?
私が頭固いだけかなー。

尊敬してればしてるほど、呼べないしー。
自分が同じステージに立てたら呼べると思う。

そんな私は、私と同じステージであろう人が、私の師匠をニックネームで呼んでると敬意が足りない、馴れ馴れしい、と感じてしまう。

呼ばれる本人が不快に思ってなければ、いい話なんだろうけど。

余計なお世話だ。

日本語のいいところは、目上の人に敬意を払った言葉使いができることだと思う。
丁寧語、敬語、謙譲語。
自分が正しく使えているかは自信がないが、気をつけて使おうという意識はある。
年下でも初対面の場合、初めは敬語だし。

日本の、日本語の素敵なところだと思う。
フレンドリーと馴れ馴れしさは紙一重だし、
丁寧なのと親近感がないのも紙一重だと思う。

でも、その距離感をうまく感じながら使う言葉を変えていくのはより良い人間関係を築く上で大切なんじゃないかな。

敬語の使えない若者、その原因は敬語の使えない大人が親になってるから。

古き良き日本は文化や環境だけじゃない。
日本人そのものの中身とか思想とか感性とか、そんな部分をもっと大切にするべきだと思う。

ニックネームは、同じステージに上がった時に初めて呼べる。

あのステージに上がれる日を夢見てみようかな。

婚活してみた。

未婚者で、25~40歳の方。

そんな募集の婚活パーティーに行ってきた。

人生2度目の婚活。

年齢制限ギリギリセーフ。

ちょっと躊躇。

見た目大丈夫という年下の友人の慰め。

でも、ご飯が美味しいという噂のお店だし。
金額的にもフツーにご飯食べに行くくらいだし。

私40、友人A33、友人B28 の3人で社会科見学。

4人×4人のテーブル。×5。

男性陣が7分ごとにテーブル移動。

もうね、慣れてて使える仕切れるやつと使えない離れしてないやつが一目瞭然。

「で、みんな何歳なん?」って聞くなよー、こんな場で。

聞かれたけど、私の前の子でタイムアップ。

セーフ(笑)

いや、聞かれたら素直に言うけどね、40って。

若い若い。

男性陣20代30代前半がほとんどだったんじゃないかな。

趣味が筋トレの20代後半。
きくらげ作ってますという30代前半。
まあまあイケてるのに自信がなく女慣れしてない30代前半。
頑張ってるけど女の子引きまくりの30代前半。
オッサンだなーって思った同い年www
以前紹介されてご飯未遂に終わってた30代半ばwww


まあ、いろいろ。
楽しかった。
ご飯も美味しかった♪

それよりも、女子!!

かわいくないー!!www

しかも、気取ってるのか、キンチョーしてるのか、男のこと話すの慣れてないのか、合コンとか苦手なんですぅー的なオーラで男ウケを狙ってるのか、
つまんなさそーな子が多かった。

たいして可愛くないんだから、愛想くらいよくしなよー!!

男性陣も、女性陣も、指導を入れたい子がわんさかいた。

そう、気分は保護者www

一緒に行ってた子が若かったのと、たぶん会場の中では可愛い方(一番可愛かったんじゃないだろうか)だったので、一次会が終わって仲良くなった33歳3人組とカラオケへ。
そこにいた知らない女子も来て9人でカラオケ。

その子たちがまた、可愛くないのに終始つまんなさそう大人しい!!

いやいやいやいや。

なぜ来たのー???

1人男の子盛り上げようと頑張ってる。

私はカラオケがしたかったから、1人盛り上がる。

うん、まあ、キミたちこれからだからね、人生。

いろんな場面で、いろんなことを勉強しなさい。

それより、白のフワフワスカートにTシャツin。
生足に白のレースのついたアンクルソックス。
へんなバッグ。
なよっとした態度。

男はこんな子が可愛いと思うんだろうか・・・。
まあ、そんな子がタイプだって人もいるよね。

センスがわからない。
雑誌でモデルがしてるのをそのまま真似しても無理があるって気付かないのか?

人間観察がたのしい婚活パーティーでした。

カップルなんてできたのかなー。

私、誰からも電話番号聞かれなかったな・・・orz

そうそう、年齢の話になって「40」って言ったら
30代前半の子に
「40?全然抱ける!」って言われた。

まてまて、40を今日まで抱けないと思ってたのか?
おい!お前!!ちょっと待て!!

あ、きっと周りにいる40才がおばさんばかりなのね。

もしくは、私が若く見えるってことね。

まあ、いい方に解釈しておこう。


でもね、

私は君に抱かれたくないからー!!!





おしまい。









 

 

 

書いてないのに。

書いてないのに、
増えてる閲覧者数。

ありがとうございます、つまんないとこをわざわざ覗いていただいて(笑)

久しぶりに書こうかな。


自己評価が低い
自分を認めて

そんなキーワードが頻繁に出てくる今日この頃。
以前から出てきてたけど、できてなかったんだねー。

自己評価をあげる
って、私の中のイメージが
自信過剰、傲慢、調子に乗る  とか、いいイメージがない。
自己評価を低くすること=謙虚、ひかえめ、思いやりがある  そんなイメージ。

人から見られる自分の評価   を気にしすぎてたみたい。
だから、褒められても、「浮かれちゃダメ。まだまだだよ。期待を裏切らないように頑張らなきゃ。」って思ってた。

そしたら、友人が違うよって教えてくれた。

あなたが好きな人が言ってくれることを素直に受け取らなきゃ、あなたがその人の言葉を信用してないってことだよ。その人のことは、信用できないの?違うよね。それなら、素直に受け取るだけでいいんだよ。

って。

私は自分で自分に、人を信用しちゃダメだって言ってた。

外に対して、“私はできるの!”ってアピールすることが自己評価を上げることではない。
自分で自分に、こんなにできるんだね私って  って認めてあげること。

こんなことを考えてたら、ある場面を思い出した。

小学一年生の運動会。町内対抗リレーって種目があって、各学年から1人ずつ選ばれて6人で走るリレーだった。
私はわりと足が早かったので1年生の選手だった。

高学年のおねーちゃんたちが早かったおかげで、優勝した。
リレーが終わって、自分のクラスのテントに戻って、クラスのお友達が2、3人いたから、「優勝したよー♪」と満面の笑顔で戻った。

そしたら…
自慢するなと文句言われた。

この年になってもその場面を鮮明に覚えてる。友達の顔とかは覚えてないけど、その場面と自分の気持ちを。

え?と初めは文句を言われる理由が分からなかった。でも次第に、友達の、自慢するな、優勝してない人の気持ちを考えろ、という言葉で、すごくいけないことを言ったんだと思って、どーしようもなくなり泣き出してしまった。
よかったねー!って一緒に喜んでもらえると思ってたのに、正反対の対応をされ何がなんだか分からなかった。
泣いてる私にずっと文句を言う友達。
周りの同級生は止める人もいなければ、加わる人もいない。
近くを通ったおじちゃんが、どーしたの?!と来てくれて、
「友達なら、おめでとうって一緒に喜んであげなきゃ。ほら、ごめんねって仲直りして。」
って。
小学一年生は素直だから、友達からの、ごめんね。おめでとう。よかったね。で仲直り。

私にとってきっとそこから、同じ喜びは大いに喜びを外に出していいけど、自分だけの喜びや評価は喜んじゃいけない みたいな感情ができあがったんだとおもう。

まあ、その後も、人には裏表があることをちょいちょい経験してきたから、「人の言うことは、鵜呑みにしちゃダメ」って脳の片隅に強く強く書き込まれてるんだと思う。

でも、それが、大好きな人の言葉を信じてないことなんだと教えてもらった。

なんだか素直に理解できた。

きっと少しずつ変われると思う。
私の心の中の問題だから、外からは何にも変わらない私だと思うけど。


最近ハンパなく、出会いに恵まれている。

たくさんのことを、私は受け取るのだ。
受け取っていいと時分に許可してあげるのだ。
受け取る資格は誰にでもある。
そう、私にもあるのだ。