馴れ馴れしさに不快感。
毒吐いちゃおー。
多分なんとも思わない人と、そうだよねって共感してくれる人とにキレイに分かれるんだろうな。
ニックネームで呼び合う ということ。
英語圏だと、年上だろうが年下だろうが名前を呼び捨てwだから、ニックネームで呼ぶってことにもなんら抵抗はないんだと思う。
でもここは日本。
さんとかちゃんとかくんとか先生とかその人との関わり方というか、関係性で名前に何らかをつけたりする。
体育会系で育ってきたのでそんな環境から離れたとはいえ、脳みそはまだまだ体育会系で。
年上、教えてくれる立場の人などに、初めからタメ口、ニックネームで呼ぶなんて無理。
年は違えど、同期とか遊びの場で知り合ったとかなら、徐々にタメ口やニックネームで呼ぶけど。
ニックネームがついてて、ニックネームで呼び合うんだ って聞いたとしても、初めて会った時の立ち位置が、先生だったりするとニックネームにさんとか付ける。付けちゃう。付けずに呼べない。
だって、尊敬する人を呼び捨てにした時点でなんだか“尊敬”がなくなってるような気がする。
本人がいないときにこっそりニックネームで呼ぶことはあるかも。
でも、本人に向かってとか、本人が目にするであろうSNSでは無理むり。
呼んでる人が気が知れない(笑)
親をニックネームで呼ぶ?
学校の先生をニックネームで呼ぶ?
私が頭固いだけかなー。
尊敬してればしてるほど、呼べないしー。
自分が同じステージに立てたら呼べると思う。
そんな私は、私と同じステージであろう人が、私の師匠をニックネームで呼んでると敬意が足りない、馴れ馴れしい、と感じてしまう。
呼ばれる本人が不快に思ってなければ、いい話なんだろうけど。
余計なお世話だ。
日本語のいいところは、目上の人に敬意を払った言葉使いができることだと思う。
丁寧語、敬語、謙譲語。
自分が正しく使えているかは自信がないが、気をつけて使おうという意識はある。
年下でも初対面の場合、初めは敬語だし。
日本の、日本語の素敵なところだと思う。
フレンドリーと馴れ馴れしさは紙一重だし、
丁寧なのと親近感がないのも紙一重だと思う。
でも、その距離感をうまく感じながら使う言葉を変えていくのはより良い人間関係を築く上で大切なんじゃないかな。
敬語の使えない若者、その原因は敬語の使えない大人が親になってるから。
古き良き日本は文化や環境だけじゃない。
日本人そのものの中身とか思想とか感性とか、そんな部分をもっと大切にするべきだと思う。
ニックネームは、同じステージに上がった時に初めて呼べる。
あのステージに上がれる日を夢見てみようかな。