lau’s blog

脳内垂れ流しブログ。

好きなタイプ、嫌いなタイプ。

どっちも感覚な、わたし。
人を好きとか嫌いって、理屈じゃないと思う。
感覚。
身体のどこかで、頭のどこかで、心のどこかで、感じてしまう。

嫌いな人っていうと、ちょっとなんか違うので、合わない人。
うん、こっちのほうがしっくりくる。

最近、久しぶりに合わない人ができた。合わないと決定できた人ができた。できてしまった。
いや、初めて会ったときから、合わないと思ってた。でも、あまり関わることがなかったのと、相手をよく知りもしないのにそうだと決めつけることへの罪悪感から、思わないようにしていた。
最近、そっち系の感覚が鋭くなっているからか、やっぱり初めの感覚は正解だなと思うことがよくある。

初対面であまり好印象じゃないけど合わないとは感じない人は、かなりの確率で好きな人のほうに分類される。逆に、初対面で感じはいいんだけど、なんだかちょっと違うなと感じる人は、かなりの確率で合わない人になっている。


勢いのある人、元気のいい人、うちに強いものを秘めた人。
これらの人が好きな、わたし。

長所と短所が紙一重 というように、人の好みも紙一重なのかもしれない。

勢いがある=強引・一人で突っ走る
元気がいい=うざい・空気が読めない
うちに強いものを秘めてる=頑固・人の話に聞く耳を持たない

まあ、どれも自分にも当てはまるところなので気を付けようと書きながら思ってしまったw

自分のことを棚に上げて、人様を好きだとか嫌いだとか言えるぶんざいか?と自分で自分に突っ込んでみるけど、ここはそんなことを吐き出すところだからいいのでは?という答えに行きつくのは毎回のことである。
そう、頭と理性では、人の悪口を言ってはいけませんという親の教えがしっかり根付いているので、どうにかこうにか自分の中で相手に対する嫌悪感を違うモノに変えよと試みるのだが、できないものはできない。理性より本能が勝つものだと実感させられる瞬間でもある。

本能的な感覚にしたがって生きていたら、人はきっとかなりのストレスが軽減されるんだろうと思う。
でも集団生活上、出せる部分と出さないほうがいい部分があることは、今の年まで生きてきた中で嫌というほど勉強してきたので、ココで書くことは出さないほうがいい部分である。

きっとあそこに話せば同意が得られるであろうという 救いの場があるだけありがたい。

話を戻すと
上記の紙一重について考えていて、一つの私なりの結論がでた。

勢いがある=強引・一人で突っ走る
元気がいい=うざい・空気が読めない
うちに強いものを秘めてる=頑固・人の話に聞く耳を持たない

好きと感じる人と、合わないなって感じる人の違い。
根本的に個人的な好みが影響していることは暗黙の了解ということで。

強い人と弱い人。
ただそれだけ。
強い人は、オーラが違う。表向きには元気がよさそうではなくても魂のレベルで元気がいい。自分の中にしっかりした軸を持っているから人の話もきちんと受け入れられる。
弱い人は、目を見ればわかる。表向き元気がいいが頑張ってる元気の良さ。自分の中の軸が細いので人の意見をあまり聞かないのと否定的意見や指摘を嫌う。自分よりエネルギーの高い人に頼る傾向がある。

そんなことを肌で感じて本能的に感じた結果が、“第一印象”だと思う。
第一印象のために、服装やメイクや言葉使いや笑顔のレッスンを受ける人もいるが、それも大事だが根本に気付くことも大事だと思う。考え方や心との向き合い方のレベルを上げる努力をしないと、表のメッキは簡単にはがれるし、見る人がみれば簡単にばれてしまう。

そんな人をみて可哀そうだなと思うのも相手をバカにしている証拠で、自分のそんなところが嫌いだと思うんだけれども、ココではそんな自分
を出していいところだということになっているので良しとしよう。

完璧な人はいない。
みんな魂の成長のために、この世に生れ、生きているのだから
まだまだレッスン中の身だから、こんなひどいことを書いても神様は笑って許してくれるだろう。

言うのも言わないのも、私の選択。

付き合いたい人と人間関係を気付いていけばいい。
もし、一度離れたとしても、縁があったたら、また関わる場面がやってくるから。
縁のある人とは、どんなに会わなくても、どんなに離れてても切れないもんである。

 

久しぶりに脳内断捨離。

合掌。

なぜか急に言いたくなったw